豊かさを生む場所から、人が暮らす場所へ。記事の問いを表した生成イメージです。
昨日まで半日かかっていた資料が、今日は短時間でできる。ひとりでは諦めていたアプリが形になり、専門家の力を借りなければ届かなかったところへ、自分でも手を伸ばせる。
AIを使っていると、こういう瞬間がある。私は、この変化を歓迎している。できることが増えるのは、素直にうれしい。
ただ、その喜びを社会全体へ広げて考えると、一つ気になることがある。
自分の仕事が速くなる。その隣の人も、隣の会社も速くなる。その先に、今と同じ人数の仕事は残るのだろうか。
豊かになることと、給料が増えることは別の話
Anthropicが公開した経済シナリオは、AIの能力や普及について前提を変え、米国の成長・雇用・賃金がどう動き得るかを考えるものだ。未来を言い当てた予報ではなく、条件を変えて先を眺めるための模型に近い。
そこで示される重要な点は、経済全体が大きくなっても、その豊かさが労働者へ同じように届くとは限らないことだ。人の仕事を助けるのか、代わりに行うのか、新しい仕事がどれほど生まれるのかで結果は変わる。[Anthropicのシナリオ解説]
「AIで生産性が上がる」という言葉の先には、まだ問いが残っている。増えた成果は、誰の収入になり、誰の自由な時間になるのか。
会社がなくならなくても、必要な仕事量は変わる
たとえば、小さな制作会社を想像してほしい。これは特定企業の実績ではなく、仕組みを考えるための例だ。
これまでは調査、資料づくり、デザイン、修正、進行管理を、何人かで分担していた。AIを組み合わせた結果、同じ注文を、同じ品質で仕上げるための人手が少なくて済むようになったとする。
注文が大きく増えれば、今のメンバーでより多くの仕事を受けられる。新しいサービスを始める余裕もできる。これは、とてもよい変化だ。
一方、注文の量があまり変わらなければどうだろう。会社は存続し、職種の名前も残る。それでも、追加採用や外注が以前ほど必要ではなくなるかもしれない。
「その職業はなくならない」と「その職業で、今と同じ人数が働ける」は、同じ意味ではない。
もちろん、世の中には新しい仕事も生まれる。自動化による仕事の置き換えと、新たなタスクによる労働需要の回復を分けて考える研究もある。だから見るべきなのは、「減った」「増えた」のどちらか一方ではなく、その両方と、移っていくまでの時間だ。[Acemoglu・Restrepoの研究]
制作会社を例にした思考実験。雇用の予測値や実績データではありません。
全員がAIを使えば、全員が先行者にはなれない
今、AIを学ぶ価値は大きい。私自身、使えるようになったことで、以前なら形にできなかったものをつくっている。
けれど、「だから、みんなAIを使えるようになれば解決する」とは思っていない。
自分だけが短時間で仕上げられるなら、それは強みになる。しかし、同じように仕上げられる人が増えれば、速さは特別な武器ではなく、依頼する側が当然に求める条件へ変わる可能性がある。
できる人が増えるのは素晴らしいことだ。ただ、依頼の数や人々の予算まで、同じ速度で増えるとは限らない。学び続けることは個人にとって大切でも、社会全体の仕事と所得をどう支えるかという問いを、それだけで片づけることはできない。
ここで薄まるかもしれないのは、特定の技能の希少性だ。人としての価値でも、創作や挑戦そのものの意味でもない。ここは、決して取り違えたくない。
給料という通り道が細くなるなら
雇用には、仕事をしてもらう以外の役割がある。企業の売上から給料が支払われ、そのお金が家賃や買い物、子どもの教育へ回っていく。雇用は、生活を支えるお金の大きな通り道でもある。
少人数で多くの成果を生める会社が増えたとき、利益が増えても、給料を通って多くの家庭へ届くとは限らない。IMFが公表するワーキングペーパーでも、AIが賃金の格差へ与える影響と、資本収益を通じた富の格差への影響は分けて分析されている。これは研究者によるモデル分析であり、確定した未来ではない。[AI Adoption and Inequality]
だから、私は給料の上げ方だけでなく、豊かさの届け方を考える必要があると思う。価格が下がる。公共サービスが充実する。資産を持ち、その収益を受け取れる人が増える。働く時間を短くしても、生活が成り立つようになる。考えられる経路は、賃金だけではない。
ただし、「AIが稼ぐから、あとは配ればいい」と言うだけでも足りない。誰の収益を、どんな仕組みで、どの人へ届けるのか。技術の進歩とは別に、具体的な制度が要る。
本文の論点整理。経路の大きさや政策効果を示すものではありません。
知的労働の次に、身体を使う仕事も変わっていく
もう一つ、私が気にしているのがフィジカルAIだ。
今回のAnthropicのモデルは、極めて高い能力を持つロボットが登場するシナリオまでは含めていない。そこから先は、このモデルの結論と分けて考えたい。
私は、画面の中の仕事が自動化されたら、人間は必ず身体を使う仕事へ移ればよい、とまでは言い切れないと考えている。認識や判断の力がロボットと結びつけば、その移動先の仕事の構成も変わり得るからだ。
それは、明日すべての仕事が消えるという話ではない。人手不足を埋め、人が危険な作業から離れ、今まで提供できなかったサービスが届く可能性もある。大切なのは、望ましい使い方を進めることと、生活を支える仕組みを準備することを、別々の話にしないことだ。
働かなくてよくなる時間を、喜べる社会へ
仕事が減るという話は、ともすれば暗い話になってしまう。
でも、本来、人が生きるために必要なものを、少ない負担で用意できるようになるのは、うれしい進歩のはずだ。空いた時間を、子どもと過ごすことや、創作、学び、誰かを支えることに使えるなら、人生はもっと豊かになる。
怖いのは、人手を減らせるほど生産力が高まったのに、「仕事を得られなければ生活できない」という入口だけが、そのまま残ることだ。
AIを使える人を増やす。その取り組みは、これからも必要だと思う。同時に、使える人が増えた後の社会についても、そろそろ本気で話し始めたい。
進歩によって生まれた時間を、不安ではなく、自由として受け取れるように。そのための仕組みまでつくってこそ、技術の進歩を、私たちの豊かさにできるのだと思う。


